2022.04.27

基礎知識

法被の歴史は平安時代まで遡る!?現代における活用方法もあわせて解説

法被の歴史は平安時代まで遡る!?現代における活用方法もあわせて解説

法被は、平安時代の皇族が身につけていた下着が由来だといわれています。
その後、さまざまな歴史を積み重ねた法被は、お祭りの定番アイテムになりました。
この記事では、法被の歴史を紹介します。現代における、法被の活用方法もあわせてチェックしましょう。

法被の歴史

法被の歴史は、平安時代まで遡ります。
平安時代の皇族や公家が着ていた下着が名前の由来となっているのです。

そして、衣類としての法被は、江戸時代の武家社会の中で生まれました。武士と一般市民の身分を分ける
ために着用していたのです。なお、法被が現代のような着用方法として注目を浴びたのは、大阪万博が
きっかけだといわれています。

ここでは、法被の歴史について詳しく解説します。

平安時代の下着が由来

法被は、平安時代以降の皇族や公家が着用していた下着である「半臂(はんぴ)」が名前の由来だと
いわれています。半臂は束帯(そくたい)と呼ばれる正装の際に身につけており、現代の法被のような
袖はありませんでした。

なお、語源である「はんぴ」が変化したことで、「法被(はっぴ)」と呼ばれるようになったと推測
されています。

江戸時代では武家たちが着用

法被は、江戸時代の武家社会で生まれたといわれています。この頃の法被は、胸元に紐が付いた
単衣(ひとえ)で襟を返して着用していました。当初は、武家と一般市民の身分を分けるために着用して
いたと考えられています。

一般市民に普及したのは、羽織禁止令が発令された頃です。
武士のように身分を表すものとして着るのではなく、制服やユニフォームとして普及しました。

大阪万博によって再注目

法被が再注目されたのは、昭和45年に開催された大阪万博がきっかけです。
当時の日本は高度経済成長期であり、全国各地でお祭りが行われていました。

そのさなかで開催された大阪万博では、法被がイベントの衣装として用いられたことから
「法被=お祭りごと」とのイメージが定着したのです。その後に開催されるお祭りでは、法被が
ユニフォームとして用いられています。

現代における法被の活用法

現代における法被の活用方法は、以下のとおりです。

  • お祭りやイベント
  • 制服

大阪万博で注目された法被は、お祭りやイベントなどで着る衣服の定番です。
また、お祭りやイベントなどで同じ模様の法被を着ることで、団結力を高められます。

そのほかに、法被は衣服の上からも着やすいことから、制服としても活用されています。
ここでは、現代における法被の活用方法について詳しく解説します。

お祭りやイベント

現代における法被は、お祭りやイベントで活用されるのが一般的です。
山車を引いたり、神輿を担いだりする人のほとんどが着用しています。お祭りやイベントなどの際に法被
を着用すれば統一感が生まれたり、連帯意識を高めたりといった役割が期待されているのです。

なお、集団で法被を着用することで、その存在感を示すこともできるでしょう。

制服 

法被にはお祭りやイベントで着用するほかに、制服としての活用方法もあります。
法被はスーツなどほかの着衣の上からでも羽織やすく、手軽に連帯感を演出できるのがポイントです。

例えば、法被に店名を入れて制服にすれば、賑やかで明るいイメージを持たれやすいでしょう。
法被を制服として活用することで、お店の活性化も期待できます。

まとめ

法被は、平安時代の貴族や皇族が身に付けていた下着が名前の由来です。
語源である「はんぴ」が、「はっぴ」に変化したといわれています。

また、衣服として着用し始めたのは江戸時代の武家社会が始まりです。
武士と一般市民の身分を分けるために着用していました。現代における法被の活用方法は、昭和45年の
大阪万博がきっかけといわれており、その歴史はまだ浅いといえるでしょう。